第9回 「買い手の目線」が成功に欠かせない理由

【開業医のためのクリニックM&A】 岡本雄三税理士事務所・MARKコンサルタンツ代表 岡本雄三

 

2016年3月、米グーグル傘下の英ディープマインド社が開発した囲碁の人工知能(AI)「アルファ碁」が、囲碁のトップ棋士の一人、李セドル九段(韓国)との5番勝負に4勝1敗で勝利したことは、世界に大きな衝撃を与えました。

既にチェスでは、米IBMが開発した「ディープブルー」が1997年に当時の世界チャンピオン、カスパロフ(ロシア)に勝利。将棋でも、富士通研究所が開発した「ボンクラーズ」が2012年に米長邦雄永世棋聖を破っています。AI、恐るべしですね。

18年、世界最高峰のピアノメーカー、スタインウェイ&サンズが自動演奏ピアノ「SPIRIO(スピリオ)」を開発しました。

先日、ご縁があり、そのスタインウェイのピアノの自動演奏の収録に関わった世界的ピアニスト、金子三勇士さんの演奏をサロンコンサートで聴かせていただき、演奏の後、食事をご一緒させていただきました。

金子さんは、自動演奏ピアノによる演奏の再現性の高さから、ピアニストの仕事もAIに取って代わられるのではないかと思われたそうです。

他方で、演奏者と聴衆が音楽を通じて語り合う、生の人と人との双方向の交流は、人同士だからできることであり、自分はAIではできないことにこだわって演奏を続けたい、と言われたのが強く心に残っています。

会計事務所の仕事は、オックスフォード大学の調査によると、AIに取って代わられる職種の上位にランクされているそうです。

医療の世界でも、「ゲノム医療」「画像診断支援」「診断・治療支援」「医薬品開発」「手術支援」という広い分野で、AIが医師に取って代わると言われています。

しかしながら、会社の経営も医療も、人と人とのつながりの中で行われる以上、人にしかできないことがあると思います。

金子さんのプロの演奏家としての意気込み、覚悟に共感しました。

◇買い手の目線で

さて、今月のテーマに移りましょう。

クリニックM&Aを成功に導く六つのポイントのうち、6番目の「買い手の目線で考える」を解説します。

クリニックを譲渡する場合、どうしても、売り手は思い立ったらできるだけ早く、都合の良い時期に、より高い価格で売ることばかり考えがちです。

しかし、自分の損得ばかりを考えていては、決してうまくいきません。医業承継の成否は、売り手と買い手の双方が納得感を得られる譲渡価格の決定に懸かっています。

買い手の医師は、患者の引き継ぎによる安全な開業のスタートと、初期投資が新規の開業に比べて少額で済むことに魅力を感じ、クリニックのM&Aを選択するのが一般的です。

承継したのはいいが、クリニックの経営が続かないとなれば、自分や家族の生活も危うくなります。

買い手は、クリニックに多額のお金を支払って、いわば「投資」する気持ちでいるのですから、「将来いくら収益を上げられるのか」ということを第一に考えています。

そして、できるだけリスクを回避し、さらに低価格で譲り受けることを望んでいるのです。

対する売り手の医師は、長年努力した功績に対して、創業者利益を少しでも多く手にしたいと考えるのが一般的であると思います。

ここで、クリニックの買い手は、具体的にどのようなことに着目しているのかを整理してみましょう。

(1)現在の財務状況

以前、クリニックのM&Aを成功に導くポイント3で、個人の財産とクリニックの財産の線引きをして、財務状況をすっきりと整理することが必要だと説明しました。

そのため、正確で分かりやすい帳簿があるということが、買い手にとって重要です。

買い手にとって、現在の財務状況は必ずチェックする項目ですので、もし不安がある場合は、具体的な交渉に入る前にアドバイザーに相談しながら、しっかりと整理していきましょう。

売り手の医師は、過去一番多く患者さんがクリニックに来院していた時をイメージして、クリニックの譲渡価格を考えがちです。

しかし、買い手の目線で考えると、今どれだけの患者さんが来院しているのか、今どれだけの収支になっているのかが最も重要なのです。

また、医薬品や医療消耗品の在庫が適正か否かも、財務状況を把握する上で重要です。架空在庫などがないかも、チェックしなければいけません。

(2)固定資産

クリニックの固定資産は、減価償却資産として固定資産台帳に計上し、管理します。

従って、固定資産台帳と実際の建物、設備、医療機器などの内容と金額は一致していなければいけません。

固定資産台帳に計上されている資産が実在するか否かという点は、買い手にとって重要なポイントです。

過去に廃棄した固定資産などがあれば、必ず固定資産台帳から削除して、帳簿に間違いがないようにしなければいけません。

固定資産については、資産が実在するとともに、それが使用可能なものであるかも重要です。

このような確認作業をすることで、医療機器や備品などの保有状況を確認でき、買い手にとっては今後、買い替えが必要な資産の把握や修繕計画を立てることが可能になり、医療機器の廃棄などM&A後の予想外の支出を回避することができます。

また、リース資産か所有資産かも確認しておきましょう。リース債務がある場合は、売買価格を調整します。

(3)簿外債務の存在

買い手は、現在の財務状況など帳簿上の数字だけを見ているのではありません。帳簿に記載されない「簿外債務」のリスクについても検討します。

簿外債務とは、貸借対照表に計上されていない会計上の債務、法的な債務のことです。

例えば、クリニックが訴訟を起こされていたり、連帯債務を負っていたりすれば、偶発的に賠償金を請求されかねません。

また、引き続き雇用される従業員の退職金の要支給額や、現在リース契約中の医療機器の残債などがあれば、承継後の負担になります。

従って、簿外債務についても明確にする必要があります。新しい機器の購入やリース契約などは、M&Aを決断した時点で控える方がよいでしょう。

(4)患者の分析と診療圏の調査

買い手の医師にとって、患者の年齢、男女別など、どのような人が来院し、どのような疾患が多く、どのくらいの診療単価で、診療圏はどこまでなのかということは、今後の経営を左右する重要な問題です。

買い手の医師が、適正な事業計画を作成し、金融機関などから資金調達をする上で、患者分析と診療圏調査は不可欠です。

診療圏の調査は、役所が公表している人口動態調査、近隣の競合医療施設の分析などから、推定患者数を割り出すものです。

この点、M&Aによるクリニックの承継では、レセプトなどの情報があり、ある程度の患者の来院が見込めるため、今後の経営状況を予測しやすいことがメリットです。

買い手にとって、クリニックM&Aで最も重要なことは、そのクリニックに将来への投資に値する魅力的な強みがあるかどうかなのです。

 これまで、クリニックのM&Aを成功に導くための六つのポイントについて整理してきました。

次回から、私がこれまで経験した具体的なM&Aの成功事例を見ていきましょう。開業医の皆さんのハッピーリタイアについて、ご紹介したいと思います。

 岡本 雄三(おかもと・ゆうぞう)

岡本雄三税理士事務所代表。株式会社MARKコンサルタンツ代表。税理士、行政書士、宅地建物取引士、M&Aシニアエキスパート、経済産業省認定経営革新等支援機関。
1967年生まれ。91年早稲田大学商学部卒業。98年岡本雄三税理士事務所開設。2000年公益社団法人日本医業経営コンサルタント登録。個人医院の開業、医療法人の設立、税務など、医業コンサルティング業務のほか、一般法人の税務、事業承継、M&A支援、資産税にかかわるコンサルティング業務を手掛ける。「後継ぎがいない会社を圧倒的な高値で売る方法」「開業医のためのクリニックM&A」など著書多数。